エコロジー研究会
ヨハネスブルグサミット 
――その成果についての一考察――
京都大学大学院地球環境学舎 國田薫


はじめに
2002年9月4日、2つの重要成果文書である実施計画と政治宣言が採択され、ヨハネスブルグ・サミット(WSSD)が終了した。1992年、リオデジャネイロで開催された地球サミットから10年、一つの節目として開催された本会議は、人類が環境問題に関する危機意識を抱き、具体的行動計画を立ててから、どれだけ行動を起こせたかを問うレビュー的要素が強かった。本稿では、政府、メディア、NGOなどの発表を分析し、中立的な立場からサミットの成果を考察してみたいと思う。

ヨハネスブルグ・サミットとは
1992年ブラジルの地球サミットで、国際社会は持続可能な開発の為の行動計画、「アジェンダ21」を採択した。しかしどんな戦略も、実行されて初めてその真価が発揮される。リオ・サミットから10年を経た2002年、ヨハネスブルグ・サミットは、アジェンダ21のより効果的な実施の為、今日のリーダーが具体的な計画を採択し、数値的な目標を定める貴重な機会となる事が期待されていた。
8月26日から南アフリカのヨハネスブルグで開催されていたサミットは、国連が主催する「持続可能な開発に関する世界サミット」という名称で、人類が抱える困難な課題に世界の関心を向け、解決を目指した。人口増加に伴い、今日の世界では食料、水、住居、衛生、エネルギーなど経済的安定に対する要求は高まっている。サミットでは世界中の人々の生活の向上と、自然資源の保全を初め、様々な重要課題について協議された。
持続可能な開発の成功の鍵は幅広い参加にあると言われている。地球資源が保護され、世界中の人々が繁栄と健康を享受できるような将来を築くには、社会を構成する全てのアクターにそれぞれ担うべき役割がある。各国政府のほか、アジェンダ21で確認された主要グループ、すなわち経済産業界、子供と若者、農業従事者、先住民族、地方自治体、NGO、科学技術団体、女性、労働者と労働組合からの代表者による積極的な参加が求められており、事実6万人以上の参加者が一同に集う稀に見る大規模な会議となったのである。

何が決まったのか
今回のサミットの目的は、「アジェンダ21」の実践度を再確認し、果たしてこの10年間、我々が目標に向かって弛まない努力を行っていたかどうかの確認をする事。そして、持続可能な開発という概念の元で、環境、食料、女性、子供、水資源など様々な項目が満足のいく状況になっているかを確認する事であった。
過去の行動を顧みると、ほとんどの先進国において満足のいく結果は得られていない。努力目標や計画は掲げられたものの、環境や公平性よりも、競争社会の中での経済成長が重視されてしまった点は否定できない。従ってヨハネスブルグ・サミットでは、アジェンダ21の実施促進のための取組に関する合意文書「ヨハネスブルグ・サミット実行計画(旧:世界実施文書)」及び「政治声明(政治文書)」や、各国やNGOなどの主体による行動の約束を記載した「約束文書(タイプ2プロジェクト)」を採択する事で、今後の行動を確認するに留まってしまった。
本来ならば数値目標を明確にし、時限目標を設定すべきであったが、利害関係の対立から実現されなかった。例えばエネルギー目標に関しては、EUやノルウェー、スイス、ハンガリー、ニュージーランドなど約15カ国は独自の声明文を出し、実施計画以上の内容を自分たちの目標でやっていく事を表明し、また、ラテンアメリカ・カリブ諸国も再生可能エネルギーを2010年までに10%増やすと言う独自の目標を出した。一方EU案を否定し原発に関する独自の理解を主張するインドや、リオ原則に関する独自の解釈を表明するとともに実施文書は法的拘束力を持たないものというアメリカなど、それぞれが実施計画の内容を独自の解釈で独自の選択肢をとっていくという具体性に欠ける結果しか導けなかった事が分かる。

終わりに
果たして今回のサミットは10年前の地球サミットと比較してみると、満足のいく結果に終わったのであろうか。アメリカ以外の各国代表は、「実施計画文書は数値目標もなく、実効性に乏しい」、「我々はもっとできたはず、期待していた結果に満たない内容」と不満を述べていた。また、各権利主体を代表するNGOも、会議に対しては不満の色を隠せていない。
事実、本来検討すべきであった事柄よりも、より経済問題主体の論争の方が多かった事は否めない。しかし、だからと言って主要な内容が何も決定していないわけではなく、実施計画の最終文書には、「2015年までに基本的な衛生状況にない人の割合を半減させる(第7章)」と「2012年までに代表的なネットワークを含む海洋保全ネットワークを確立する(第31章)」という新しい具体的な目標が二つ入った。
確かに、自然エネルギーや温暖化に関する時限的、具体的数値目標が導入されれば、より望ましい結果になったであろう。しかし、この様な論点は、一つの独立した国の中でさえコンセンサスがとり難いという点を指摘しなければならない。とするならば、利害関係や実行可能度が異なる国際会議では包括的な解答を出すのは事実上可能ではないのかもしれない。
今回のサミットを通して私たちが改めて確認した事は、会議の内容の透明性を図る事の必要性だと思う。実に多数の参加者が集っていた反面、実技的な討論に参加できたのは限られた人たちのみであり、好意的に解釈しても開かれた会議とは言い難いものであった。今後、温暖化対策に限らず、社会問題に対して一般市民が関心を持ち、発言権を行使する事が重要になってくる一方で、それを受け入れられるような社会になる事を期待しながら、本稿を終えたいと思う。


●執筆者プロフィール
國田薫(くにた かおる)
慶応義塾大学法学部卒業後、東京ガス勤務を経て、京都大学大学院地球環境学舎環境マネージメント専攻修士課程へ。現在、気候変動問題に関する政策について研究中。
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