Well-Being
老いても、普通に暮らす。そのための福祉 
――小規模ケアのうねり――
神戸大学学生震災救援隊 相澤亮太郎


1995年の阪神・淡路大震災は、我々に「生活」の質を問いかけた。制度上は災害後の「仮の暮らし」であっても、生活者にとってはそれがすべてである。避難所、仮設、復興住宅と度重なる転居の度に、「生活とは何か」を自問しながら新しい居住地を選んだ。震災後のまちづくり計画では、自分たちの生活にとって本当に必要なものが何なのか、徹底的に議論が行われた。壊れ、新たに生み出す過程は、我々自身の生活を真剣に考えることを要請した。現在、高齢者福祉の現場では、この問いかけに呼応するかのような議論が巻き起こっている。

従来型施設ケアへの問題提起】
兵庫県尼崎市にある「グループハウス尼崎」は、阪神大震災で被災した高齢者のために設置された24時間ケア付き仮設住宅の受け皿として、1998年9月に尼崎市が建設した。入居定員は16名。各自の居室とは別に、共用のリビング・風呂・炊事場等を備えた共同住宅である。現在は8名の高齢者が、24時間常駐するスタッフに見守られながら暮らしている。介護保険上の要介護度は、特別養護老人ホームやグループホームと同程度の水準である。震災以後、このグループハウスが全国的に注目されてきた理由は、入居者個人の生活をベースに積み上げられてきた「グループハウス的暮らし」にある。生活の中心として入居者が存在し、その生活をサポートするスタッフが常駐する。入居者とスタッフの関係は、入居者自身が「嫁と姑の関係」と述べるほど、入居者を中心に構築されている。運営責任者の中村大蔵氏(特別養護老人ホーム『園田苑』施設長)は、「自律志向型協働住宅」という言葉を用いてグループハウスにおける入居者が自律して暮らす営みを表現した。一見すると何の変哲もない「生活者である入居者が主役」の「普通の生活」が、震災のどさくさによって偶然に誕生した。このことは、従来の施設福祉の現場からすると衝撃的であった。
これまで多くの高齢者福祉施設では、大規模処遇と呼ばれる生活が営まれてきた。多数の職員と多数の入居者の間には、介助を通じた「する−される」の関係が固定化されていたといわれている。また施設の運営という観点から起床、食事、レクリエーション、排泄、入浴、消灯等の生活のリズムが作られ、入居者はそのリズムに合わせて生活を送らねばならない。「集団生活だから仕方がない」「施設の規則だから」「自分勝手をすると他の入居者や職員に迷惑をかける」という感覚が、入居者の自由な生活を束縛する。従来型の大規模施設においては、グループハウスのように入居者がスタッフを指さしながら皮肉を込めて「嫁と姑の関係」と言うなどとは考えにくい。施設入居者は、主体性をぎりぎりまで低下させることで、施設のリズムに生活を合わせて自らを守る。施設側がどんなに「自由な暮らし」を標榜したとしても、施設において「集団化された暮らし」の枠組みから逸脱することは至難の業である。現在、特別養護老人ホーム(以下、特養)内部のフロアをいくつかに区切り、10人から20名程度の小集団を作る「ユニット化」が注目されているが、個人の生活をベースに生活を作り出すことが出来なければ、施設の中にミニ施設を作り出すだけである。このことは2003年からスタートする「新型特養」と呼ばれる全室個室型の特養でも同様である。運営者やケアスタッフの資質次第で、プライバシーや個人の生活を守るはずの個室施設が単なる密室になり、入居者の社会性の低下を招いただけ、という結末が懸念される。「全室独房化」などと揶揄される状況は回避されねばならない。

【小規模ケアへの注目】
一方で、従来型の高齢者福祉施設を飛び出し、地域の中にある既存の民家を改修するなどして、民間主体で小規模にデイサービスを提供する「宅老所」が近年注目を集めている。その実態は、NPO法人を申請し介護保険制度のメニューを利用するケース、利用料を実費のみ徴収するボランティアグループ主催のケース、会社組織が運営するケースなどさまざまである。地域のニーズに柔軟に対応し、多様なサービスを提供していることに対する評価が高まり、最近では宅老所の設置に対する助成が自治体単位で行われこともある。たとえば長野県の"宅幼老所"に対する補助制度の事例を見てみたい。長野県内には2002年5月の段階で、52カ所の宅老所が設置されている。介護保険制度の下で日を追うごとに増加している状況は、「宅老所ブーム」と呼べるほどのものであるという。このブームと「やる気のある人を支援したい」という田中康夫長野県知事の強い意向を受けて、本年より宅老所に対する設置助成制度が創設された。宅老所の立ち上げに際して、既存の建築物を改修する場合は500万円、新設の場合は2千万円を上限として、市町村を通じて補助がなされる (市町村が負担する額の三分の二以内)。補助総額は年間一億五千万円で、すべて一般財源からまかなわれる。法人格のない個人や任意団体であっても、施設整備補助の対象となる。また物件が借家であっても、十年以上の借用を前提としていれば補助対象となるという。不登校児や障害児などのタイムケアも同じスペースで行うことを想定しており、宅"幼"老所と呼ばれるのはそのためである。長野県の担当官は「地域づくりの拠点にしてほしい」「高齢者のみならず障害児や不登校児にとっても、地域における拠り所となることを期待している」とのコメントをしている。

【生活の豊かさを考える】
宅老所に対する同様の助成制度はすでにいくつかの都道府県でも実施されている。今後、行政支援は確実に充実し、宅老所は地域における高齢者ケアの主力として確実に普及していくだろう。宅老所のみならず、在宅ケア、施設ケアをはじめ多様なサービスは、しばらくは増加の一途を辿るだろう。では、この状況を見たとき我々は「ひとまず安心」と感じるだろうか。来るべき高齢社会が云々という話が登場する際、必ず「福祉サービスの充実」や「支援体制の構築」という目標が掲げられる。ケア体制の量的増大という結論に至るのは、ある意味当然であろう。しかし、そこで語られる福祉サービスは、本当に我々の「自由で生き生きとした生活」を保障してくれるものなのだろうか。「生活」という観点を抜きにして提供されるサービスでは意味がない。そもそも、それ以前に、我々自身は日々「何物にも代え難い豊かな日常生活」を営んでいるだろうか。
経済成長路線を突き進んできた我々は、これまで自分たちの「生活」をないがしろにしてきたところがなかっただろうか。兵庫県黒田庄町にある宅老所「ひだまり」を運営する笹倉エミ子さんは、「私が楽しい。お年寄りも楽しい」という生活を実践している。食事、音楽、農業、食事、手芸、織物、睡眠など、生活を構成するたくさんの要素が豊かに存在した上で、ケアが提供される。しかもそれは、押しつけのものではなく「するもしないも自由」である。その結果として「豊かな生活」が生み出される。私はここで、ケアや福祉サービスが語られる以前に「そもそも豊かさとは何か」が問われていることに気づかされる。高齢者福祉の現場で語られる「老いてなお、普通の生活を送るためのケア」という思想の原点には、老いも若きも関係のない「生活への眼差し」が要求される。規則や時間に縛られた福祉施設での暮らしと、時間に追い立てられ自分の生活を犠牲にせねばならない企業戦士は、ある意味で同じ境遇かもしれない。福祉を考えることは「豊かな生活」を考えることである。
阪神大震災の被災地は、破壊と創造の過程で自らの生活を真剣に考える必要に迫られた。その点で被災地は先進地である。まだまだ、被災地から目が離せない。

●執筆者プロフィール
相澤亮太郎(あいざわ りょうたろう)
神戸大学発達科学部卒業後、神戸大学総合人間科学研究科へ。現在、人間環境科学専攻社会環境論講座に在籍。
論文:
『阪神大震災研究4 大震災5年の歳月』1999年,神戸大学〈震災研究会〉編・神戸新聞総合出版センター発行,313-327p「ケア付き仮設の経験とは何だったのか」
雑誌『兵庫地理』2002,47号,23-32p
「神戸をめぐる場所への愛着――ライフヒストリーとエッセイからの場所愛抽出――」
個人ホームページアドレス:
http://kobe.cool.ne.jp/aiai813/index.htm
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